ウジヤの失敗

2歴26:16「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿にはいった」
ウジヤは最初父アマツヤに従い主の目にかなうことを行なった…とあります(4)。しかし強くなると、心が高ぶるようになってしまいました。パウロは「私が弱いときに、私は強いからです(2コリ12:10)」と語っています。「強い」とは、周りに敵がいなくなり、逆らう者がいなくなるということです。まるで自分が世界の頂にいるような錯覚に陥り、何よりも自分は高みにいる存在である、と勘違いするのです。サタンもこのようにして堕落しました(イザ14:14)。主に仕える者たちは、生まれたときから訓練が始まり、30歳で聖所に仕えることができる特別な人たちです(民4:3)。訓練も受けず、その血筋でもないウジヤが、いくら王だからといって聖職を汚すことは越権行為です。すべては彼が強くなったことから始まりました。権力があり、力、富を持つものがへりくだることは難しいことです。しかし主は全知全能であるにも関わらず、へりくだった心を持っています。それが主のご性質だからです。主の満ち満ちた身丈まで達することが私たちの目標です(エペ4:13)。