オリジナルに向かって

ルカ11:38「そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた」
エス様は生まれてから死ぬまでの間に一度も律法にそむきませんでした。それは人は律法を成就する生き方もできることをお示しになったからです。それではここで「きよめの洗い」をしなかったことは律法違反だったのでしょうか?新改訳聖書の下の欄の注解では、きよめの洗いは「バプテスマ」だと書かれています。手を水に浸すことで、体をきよめたことになる…といった解釈ではないでしょうか?このような律法はモーセ5書の中にはありません。つまりオリジナルではないのです。後世の人たちが、寄ってたかって律法をいじり倒した結果として誕生した、パリサイオリジナルの律法でした。当時、聖書の写本の数は限られており、一人に一冊という恵まれた状況にはありませんでした。それゆえ教師、律法学者、祭司など特定の特権階級の人たちが聖書を読むことができ、それを人々に教えていたのです。歪曲した律法に従っていたパリサイ人がイエス様の行動を見て驚いたのも無理はありません。しかし彼が目撃した人は、オリジナルの律法を与えた張本人です。その張本人に向かって、インチキ律法をなすりつけようとは、いくら知らないとはいえ大胆すぎます。