いのちの長さ

ルカ12:25「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」
毎日、人は生まれ、死んでいきます。産婦人科の病院では産声と歓喜の声が聞こえてきます。また葬儀の場では悲しむ声がします。誰ひとりとして、自分の生まれてくる日を決めることはできません。また死ぬときを知りません。あと1日でも生きることができればと思ったとしても、自分の思い通りにならないのです。人は死ぬために生まれてきます。人の死亡率は100%です。どんなに名声があろうとも、富で満たされようとも、その名は忘れ去られ、富を死後の世界に持ち込むことはできません。やがて死ぬ運命なのに、神は人を愛し、祝福しようとします。この地を目に見えるように造られたのは、主ご自身です。それはもはや目に見えない霊の世界ではない、はっきりと見て、さわれる具体的な世界です。この世界で主はご自分の栄光を表そうとしました。それはご自分がただ輝くだけでなく、それを見た人が驚嘆し、礼拝するためです。すべてはこの地上で、生きている間のできごとです。生きている間がたとえ短くても、神を信じ、共に生きることができるなら神の栄光は私たちを通して表されるのです。