話の最後

ルカ15:32「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか」
ここで放蕩息子の話は終わっています。弟は悔い改めて家に帰り、父の許しを乞い、心を入れ替えて父の元で祝宴を開いてもらっていました。兄はこれを聞いて、ふてくされて家に入ろうともしません(28)。兄の言い分は「父は友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません(29)」というもので、身代を食いつぶした弟に対する不平等な扱いを怒っていました。しかし財産は兄にも分配され、兄は相当な財産を父の死ぬ前にもらっていたはずです(12)。さて、この後兄はとうなったのでしょうか?そのままふてくされて弟と口もきかなかった…。あるいは兄も父の愛の深さに触れ、弟が帰ってきたことを共に喜んだ…でしょうか?もちろん聖書には書かれていませんから、本当のことはわかりませんが、この話が兄に対する言葉で終わっていることに注目したいと思います。帰ってきたのは赤の他人ではなく、血のつながった弟です。そういう意味では、新しくクリスチャンになることは兄弟が帰ってくることと同じことです。父が兄に言った最後の言葉の中にイエス様の伝えたかった最大のメッセージがあると思います。