女のための論議

1テモ2:14「また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました」
女が教えたり、男を支配したりすることを許しません(12)、と言ったパウロの根拠がここに書かれています。創世記の最初までさか登って理由を述べるのは、よほどこのことの本質が神の創造したころに誕生した原理だからだと思います。確かに、アダムはヘビによっては惑わされていませんが、エバが勧めた木の実は食べました。ヘビはかしらではないエバに目をつけ、彼女を誘惑しました。罪の一番最初は女によってもたらされたのです。しかしそれも神のご計画だったことは誰もが知るところです。さらに、世界中で誘惑に陥るのは女だけではないことも周知の事実です。パウロは別の箇所で、キリストのバプテスマを受けたものにはユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません(ガラ3:28)、と語っています。確かに神は男を最初に作り、パートナーとして女を造りました。キリストの十字架は女のためではなく、全人類のためです。男が争いをやめ、怒らず、いつもきよい手をあげ祈るなら(8)、女が教えたり、男を支配したりする必要もないはずです。結局女は男の鏡なのです。