アハシュエロス王の時代

エステル1:12「しかし、王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った」
アハシュエロス王は聖書特有の名前の表現で、歴史上の名前はクセルクセス王として知られています。王の統治は非常に寛容で、高位の人たちのための宴会が終わると(4)、7日間の身分の低い人を含む家臣のための宴会が行われました(5)。その宴会では、それぞれ違う杯が配られ(7)、誰も酒を飲むことを禁じられたり、強要されたりしませんでした(8)。また、王妃も婦人だけの宴会を催して(9)、広大な国を支配していた王のわりには、独裁的でなく自由のある支配だったと言えます。それゆえ、王が王妃を召しだそうとしたとき、王妃は見世物になることを嫌がったのです。王は寛容にも王妃を殺しませんでしたが、女が夫を尊敬し、夫の話す言葉を家族の言葉とする法律を作りました(22)。アハシュエロス王は自由と順法をうまく使い分ける賢い王だったと言えます。王妃ワシュティは、自分の立場を勘違いして、全権ある王に逆らってしまいましたが、彼女のそんな思いも神からのものだったと思います。エステルはワシュティの拒絶がなければ歴史の舞台には登場しなかったからです。