面倒くさがらず

雅歌5:5「私は起きて、私の愛する方のために戸をあけました。私の手から没薬が、私の指から没薬の液が、かんぬきの取っ手の上にしたたりました」
着物も着なければならず、足も洗わなければならないのは面倒だ…と、この女は考えました。主が会いに来られたときに、「わたしは眠いから」とか「やることがあるので」と言うのでしょうか?イエス様の言われた「しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます(ルカ12:46)」とはこのことではないでしょうか?女も愛する人の訪問のタイミングが悪いと思っていました。しかし、愛する人が扉の穴から手を入れ、わずかな可能性でもいいから会いたいという真剣な思いが彼女の心を動かしたのです。彼女は起き上がり、支度をしました。手から没薬がしたたるほどに、十分な身支度をして戸を開けました。没薬は甘い香りのする香料で、防腐剤の役目もしていましたが、女性のコロンのような役目もしていたようです。彼女の最初の思いがすべてを遅らせてしまいました。愛する人は去ってしまったのです。6節は下の別訳のように「あの方が告げたとき」のほうが意味がわかると思います。気を失うと訳すより、「私の魂は踏み出すことができなかった(欽定英訳)」のほうが良いと思います。愛する人に会う準備は怠ってはいけません。