愛は死のように強く

雅歌8:6「私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です」
愛は死のように強く…とは、強烈な言葉です。そこにはねたみがあります。愛に副作用があるとするなら、それはここに書かれているように「ねたみ」だと思います。嫉妬を伴わない愛は、偽りだと思います。愛すれば愛するほど、その人を占領したくなり、束縛したくなるものです。「あなたの神、主であるわたしはねたむ神(出20:5)」だと、主ご自身が教えています。その愛は、死をも飲み込み、世の終わるまで永遠に続くものです。そんな愛などあるのでしょうか?主の愛は決して、たゆまず、絶えることはありません(1コリ13:8)。それが主のご性格なのです。どんなに人が理解しようとも、それはいつも人の理解を超えているのです。どうして、そこまで愛してくれるのか?人が自分の弱さを認めれば認めるほど、主の大きな愛に圧倒されるでしょう。愛は理解するものではありません。どんなにIQが高くても知ることができないものです。それは主の知恵でもあります。言葉と行いが伴うとき、人は愛されていることを知ることができます。イエス様の十字架には、その力があります。主の愛を知るのは聖霊の助けがあるからです。そこまで用意された主の愛は賛美されるべきではないでしょうか?