不信仰と御心

ヘブ3:16「聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか」
40年という年月は、1世代が過ぎる時間でした。つまり、助かった者はいなかったのです。たとえ御怒りを受けなかったとしても、高齢のため老衰するか、病死したと考えられます。とにかく、聖書が「エジプトを出た人々の全部」と言う限りは、一人残らずと考えたほうが自然です。信仰と生き残ることとの間には深い関係があります。最後まで信じる者は永遠の命を得ることができます(ヨハネ6:47)。ここでは、御声を聞きながら心をかたくなにしてはならない(15)、と書かれています。御声が「右」と言うなら、「左」を選択してはいけません。実際にはもっと複雑な状況で、サタンのささやきと主の御声は交錯してきます。多くの人が「わたしは主の声を聞いた」と言い、自分の思いを遂げようとするのです。そういう多くの間違いをたくさん見てきました。まず、自分が死ぬことです。自分の思い、願いが死ななければ、主の思いは前に出てきません。何でも聖霊のせいにすることも、聖霊にとって迷惑な話です。御心は、自分の願う結果の上にはありません。聖書をよく知ることが御心を知る近道です。なぜなら、聖書に反する御心などないからです。