思いに律法が刻まれる

ヘブ8:10「それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」
エレミヤ31章33節の言葉の引用です。律法は破棄されたのでしょうか?十字架のあがないが終わったから、律法は必要ない?そうではありません。パウロは「律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう(ロマ7:7)」と言っているように、肉がある限り罪は離れず、律法がなければ罪は存在しません。それでは私たちは何を守って生きていけば良いでしょうか?モーセ十戒は今も生きています。モーセに時代に与えられた石の板に書かれた律法が、今度は人の心に書きつけられるのです。主が直接に律法を与えてくださるのです。それは御霊によるもので、聖霊が必要なことを教えて下さることだと思います。誰でも、心に迷いがあるときは誰かに聞きたいものです。誰かを裁くのではなく、心に示されたように語り、行うことができれば、その人は心に律法を刻まれた人で、神の民となることが出来た人です。