私生児と呼ばれる屈辱

ヘブ12:8「もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです」
クリスチャンには懲らしめが付きもの…だということでしょうか?もし「わたしのクリスチャンライフはすべて祝福されて、困ったことなどありません」と、証しする人がいたなら、要注意です。その人を羨ましいと思ってはいけません。その人は私生児で、神のほんとうの子ではないからです。祝福を受けることは大切なことですが、祝福だけがクリスチャンの特権ではないのです。むしろ、主からの懲らしめこそ、クリスチャンの特権です。主はその人を大事に思っていて、成長させたいと願っているからです。逆境や苦難に出会わずに人生を歩んできた人は、どうやって罪を知り、悔い改めることができるでしょう?とにかく神を信じているにも関わらず「私生児」と呼ばれるのは不本意です。今は苦しいかもしれませんが、神から「私生児」と呼ばれることと比較するなら、耐えることができます。少なくともわたしはそうです。本当の子じゃない…とイエス様から言われるほどショックなことはないのです。