さばきは主のもの

ヨハ5:30「わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです」
別の箇所では「もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです(ヨハ8:16)」とも語っています。「わたし」がさばくのは、自分の判断ではなく、父の御心によるということです。さばきに自分の感情や都合が含まれてはならないのです。そういう意味においては、イエス様は誰をもさばくことはありません。さばきを口にしたときは、父が語られた御心を口にするからです。イエス様でさえ、さばくことを控え、時が来るのを待つとしたら、我々人間がどれだけ、忍耐を持ってさばきを先送りにしなければならないでしょう。イエス様がそうなさるなら、我々はそれに学び、従わなければなりません。聖書は、神のさばきは完全だと証言しています。人が裁く裁判には限界があり、時には誤審もあり得ます。証言や証拠をどんなに集めたとしても、真実はただ一つです。聖書が絶対間違えのないさばきを保証しているのですから、私たちはぐっとこらえて、必ず来るさばきのときを待ちましょう。それは主のテリトリーだからです。