転換期

ヨハ12:26「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます」
これはピリポのもとに来たギリシヤ人への答えです。ほかの福音書では、大きく取り上げていませんが、ヨハネによるとラザロの一件以来、状況は大きく変わりました。多くのユダヤ人は信じ、イエス様がエルサレム入場の際にはロバに乗せ、しゅろの木の枝を敷き詰めました(13)。彼らは何も意識していませんでしたが、イザヤ書に書かれている通りに行動したのです。さらにパリサイ人は「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった(19)」と互いにつぶやき、主の大いなる栄光は輝いたのです。この後イエス様は逮捕され、十字架にかかり、あたかも栄光は消えたかのように見えますが、天からの声ははっきりと預言します。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう(28)」…もう一度とは、イエス様の復活のことです。こうやってすべてのことが証しされたのは、本当はユダヤ人のためでした。ギリシヤ人、つまり異邦人がイエス様がまだ生きておられる内から信仰を持ったことは、深い意味があると思います。