プラス16節

1ペテ3:15「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」
原文ギリシャ語は16節の「ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい」を15節に数えており、英文やその他の訳と日本語訳では違っているようです。「弁明」は英語では「defence」が使われており、原語の「apologea(アポロギーヤ)」とほぼ同じ弁解と訳されています。つまり説明を求める人たちの中には決して善意で聞いてくる人たちではないということです。そのために16節の優しく、慎み恐れて…というただし書きが必要になるわけです。中には本当に真理を求める人もいるでしょう。しかし、福音の中には信じがたい箇所があり、にわかに信じることが難しいようにできています。まさしく「宣教のことばの愚かさ(1コリ1:21)」が、盾となっているのです。もし「なぜ?」と聞かれたときにはっきりと答えを用意しているでしょうか?いつも自分の証しをもっているでしょうか?挑まれたときに、怒らず、焦らず、こころからの証しができれば幸いだと思います。