大きな都とは

黙11:8「彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである」
霊的であろうがなかろうが、主が十字架につけられた都はソドムでもなければ、エジプトでもありません。これは大きなヒントになる比喩だと思います。十字架の都はエルサレムですが、この御言葉を見る限り、エルサレムではないようです。もちろん死海南部のソドムや地中海西側のエジプトでもありません。3つの場所はあくまで本物の場所を導くための比喩です。御言葉が語るように霊的な解釈が必要です。まず第一に商業的に発達した、人口の多い裕福な街である必要があります。ユダヤ人がイエス様を十字架に掛けたときの罪状は「ユダヤの王」でした(ルカ23:38)。エルサレムという大きな都で、自らの民の王と名乗り殺されたのです。ひょっとしたら、ある教会が扇動して正しい人を再び殺すようなことがあるのでしょうか?世界は衛星やインターネットでつながっています。「もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々(9)」…は、一瞬にして情報を共有することが可能です。そういう意味においては、名のある証し人が世界的に有名な大都市で迫害を受け、殺されることを同時に世界で目撃することができます。準備は出来ています。あとは預言が成就するだけです。