そよ風の吹くころ

創3:8「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」
そよ風は日本訳独特の表現ですが、原語ヘブル語「ruakh(ルアク)」は風、霊、息、心などの意味があり「そよぐ」という意味は当てはまらないと思います。風が霊の意味も持つなら、神の霊が流れその隣在が感じられる頃…とも訳せます。訳の違いはともかく、アダムとエバは神の霊を感じ、御言葉を聞いたのです。蛇の誘惑を受けてから、最初の主との接触です。すでに心には恥ずかしいという思いが芽生えています(7)。主を感じたとき、なぜ彼らは隠れなければならなかったのでしょうか。「私は裸なので、恐れて隠れました(10)」とアダムが語るように、なにもかもさらけ出すことは怖いことです。しかしアダムの髪の毛の数でさえご存知の主から隠れることは無駄です。罪の意味は、主から離れることです。彼らが隠れたことで罪が彼らに入ったことが証明されたのです。