肉も食べてよい

創9:3「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた」
創世記1章では、木の実を主食とするようにされたことが書かれています(1:30)。洪水後、生きて動いているものはみな食物である、とされました。それまでは人は肉を食べたことがありませんでした。神は肉食を認め、動物を殺して肉を食べてもよい、と言われたのです。その際、重要な神の奥義が語られています。「肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない(4)」は、いのちの源が血にあることを示しています。血を流すものには、命の代償として血を求められるのです。この神の法則は、イエス様の時代も、また現代に至るまで変わっていません。主が言われたとおりなら、私たちは自分のいのちのために、血を流さなければなりません。罪の代償は「死」で補わなければならないからです。このルールは現在も生きています。人を殺すなら、あるいは霊的に殺すなら、その人は血をもって償わなければなりません。洪水後、すべてが終わったわけではなく、血による購いが始まったのです。