言葉と心を一つにして

創11:8「主は仰せになった『彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない』」
一つの民、一つの言葉だと、彼らがしようと思うことで、とどめられることはない…主がそうおうせられたのです。逆に言うなら、人が心を一つにし、言葉を共有し、意思をあわせて目的に向かって進むなら、何でもできるということになります。神はなぜ、このことを嫌ったのでしょうか?それは、人の心に高慢な思いが芽生えたからです。彼らは天に届く塔を建てて、名をあげようとしました。「名をあげる」の原語は「shem(シェイム)」で、名前の他に評判、名声、栄光などの意味が含まれています。何でもできることは素晴らしいことですが、神に位に届き、名を上げ、名声を自分のものにしようとしたことは、許されない越権行為です。あくまで創造主と被創造物との関係を無視するなら、神からの大きな災いを受けても仕方のないことです。事実、このことをきっかけに、この世には様々な言語が生まれ、私たちは隣の国どうしであっても、意思の疎通が難しい状態になってしまいました。しかし終の時代に心を一つにして、言語を超えて共に祈り合うなら、神の言われた「しようとすることでとどめられることはない」という言葉が実現すると信じます。