ヨブは潔白?

ヨブ9:28「私の受けたすべての苦痛を思うと、私はおびえます。私は知っています。あなたは、私を罪のない者とはしてくださいません」
「わたしは潔白だ(21)」と言いつつも、主が罪のない者にしてくれないことを知っています。罪はヨブの中に残っています。どんなに罪のために捧げものをしたとしても、それで終わりではありません。必ずまた罪を犯し、捧げものをしなければなりません。ヨブの神への信頼は、ここで揺れ動いています。それは、一生続くものでヨブは今、信仰を試されているのです。どんなに自分が罪を犯さず、正しい道を歩んだとしても、それは神がヨブに対して用意しておられる人生ではないのです。ヨブはここを勘違いしているように思えます。自分が潔白なことと、たとえ罪を犯したとしても主から目を離さず、信頼し続ける信仰を持つことは別です。自分が主の前に潔白であることは良いことですが、それを盾に主と同等の立場に立とうとすることは高慢です。ヨブの信仰はすばらしいものですが、主はヨブをさらに正しい者になってもらいたかったのだと思います。主がわからないときは、何かの教えがそこに潜んでいるのです。