悪者はわずかな時間を楽しむ

ヨブ20:5「悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ」
ツォファルの言い分としては、悪なら、あるいは悪者なら当然の報いを神がお下しになるはずだ…ということです。人の年齢が120年と決まっているなら(創6:3)。どんなに悪者ががんばって悪事を行なっても100年が限界です。たった一人で歴史を揺るがすほどの影響力を及ぼす人たちは多くいましたが、すべての人は死に神の裁きにあうのです。主の目から見るなら、ほんの一時のまばたきをするほどの時間でしかないでしょう。それでも人は快楽を求め、自分の欲を満たしたいと必死にもがくのです。人生とは人が生きている間のことです。死んでからではすべて遅いのです。肉の欲が自分を支配しているときに、神を知り、恐れ、聖さを保とうとするなら、神はその人を認め多くの祝福を与えるでしょう。そういうことをツォファルはヨブに伝えたいのだと思います。しかし悪者の定義をどんなにヨブに伝えたところで、主によって正しいと認められたヨブには無駄なおせっかいのように聞こえたはずです。