災いを体験したなら

ヨブ18:12「彼の精力は飢え、わざわいが彼をつまずかせようとしている」
原文では「災いは彼が落ちたとき(あるいは失敗したとき)のために用意されている」とも訳せます。ビルダデはヨブの様子を、自ら招いた災いだと主張しています。それはビルダデが主は災いをもって、悪者を懲らしめることを知っていたからです。ヨブの「自分は潔白」とする主張はビルダデには理解されなかったようです。ヨブの身に起きたことは、まさしくビルダデの唱える災いに合う悪者のパターンにそっくりでした。ノアの洪水以降、神はもう世界を滅ぼすような災いを下すことはない、と言われました(創8:21)。世界規模の災いはないにしろ、ソドムとゴモラを滅ぼすような部分的な災いはありました。人に起きる小さな災いであれ、天地を揺るがす災いであれ、主の御心が関係しています。ある意味ビルダデの主張は正しいのです。何かが起きた以上、そこに御心があります。ヨブが潔白を証明するより、御心を探ることこそ最も大切なことではないでしょうか?