神が何を受け入れるのか

ヨブ24:12「人の住む町からうめき声が起こり、傷ついた者のたましいは助けを求めて叫ぶ。しかし、神はその愚痴に心を留められない」
助けを求めても、聞き入れられないなら希望を失ってしまいます。神と関係を持たない者が窮地に立たされたときだけ主を求めることは愚かなことです。それは「愚痴」だと書かれています。たましいの助けは決して愚かなことではないと思います。しかし、神を求めるときが切羽詰ったときだけであるなら、人との交わりを望む側にとっては悲しいことです。困ったときだけ奇跡を期待して、普段は交わりも礼拝もしない人の態度は失礼極まりないものです。それでも、主が憐れみをかけてくださるならそれは恵みでしかありません。ヨブは悪者がどのような結末を見るかを知っていましたし、彼の3人の友人もまた同じでした。彼らが交わす言葉のやり取りは、ある意味同じことの繰り返しでしかありません。それぐらいヨブに起きた出来事は、彼らのいままでの経験から逸脱したものだったのです。それは正義と悪の問題でなく、神と人との問題が隠されていた難しい状況でした。