神のみ心のままに

ヨブ23:13「しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行なわれる」
アーメン、と思わず答えてしまう、神を正しく理解した言葉だと思います。人がどんなに必要を訴えたとしても、みこころにかなっていなければ、答えられません。「あれが欲しい」「これが足りない」と訴えるのは結構ですが、それは主の栄光につながるものですか?その祈りはみこころにかなったものでしょうか?どんなに全世界のすべての人が救われるように祈ったとしても、主のご計画はすでに決まっています。たましいが救われることはみこころでも、その人がいのちの書に名前を書かれているかどうかは誰にもわかりません。そういう意味においては、クリスチャンはみこころでない祈りを繰り返し、学んでいくのだと思います。イエス様の祈られた「私の願うようにではなく、、あなたの御心のようになさってください(マタ26:39)」は、祈りの最終形態だと思います。なぜなら、神がこころに欲するように行なわれることが、人にとって最善なことだからです。