どんなうわさ?

ヨブ42:5「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました」
主を礼拝していたヨブは、実際に目で主を見たことがありませんでした。それは、現代のクリスチャンも同じことです。うわさとは、多くの人の証しのことだと思います。目に見えないけれども、神の不思議なわざを体験する人は多くいます。普通ありえないことが起きると奇跡だと喜びますが、ヨブの耳にはどんなうわさが聞こえていたのでしょうか?ヨブの信仰は最後まで揺るがず、自分を正しいと考えたものの、それ以外は主のみ心にかなうものでした。一方、3人の友人たちは主からの叱責を受け、いけにえを捧げて自分たちの間違いを悔い改めなければなりませんでした(9)。彼らもまた神を見た経験はなく、「うわさ」によって神の概念を持っていたのです。結局、義人ヨブが祈ることによって彼らは許されました。3人の友人が「許してください」と祈ってもだめだったのでしょうか?神は罪のない者、けがれのない者の言うことに耳を傾けられます。それは、まるでイエス様の祈りが天に届くようなイメージと重なります。天に届く祈りは「内容」ではなく、祈る人の「心」のあり方に起因しているのだと思います。