按手してほふる

レビ4:15「そこで、会衆の長老たちは、主の前でその雄牛の頭の上に手を置き、その雄牛を主の前でほふりなさい」
手を置いて祈ることは按手として聖書に何度か登場します。雄牛の頭の上に手を置くのは、裁きの対象を移す意味があります。頭に手を置く行為は、おそらくヤコブがヨセフの子供マナセとエフライムを祝福するときに手を置いたのが最初だと思われます(創48:14)。この場合は、上の者から下の者へ向かっての祝福を与える按手です。教会の宗派によっては、いやしのために按手する場合もあります。さらに新約の中ではヤコブの手紙の中に「オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい」という記述があるので(ヤコ5:14)、教会によっては按手をする際に、額にオリーブ油を塗って任命したり、いやしの祈りをするところもあります。とにかく、手を置くことには大きな意味があり、もし雄牛をただ燃やすだけなら罪は消えないでしょう。主の前にはっきりと態度を示す行為が按手なのです。それは、行為そのものの意味よりも、主に対して自分の意思をはっきりとさせる意味のほうが強いです。現代はカトリックではおもに祝福を与える行為として、福音派は任命のとき、聖霊派はいやしのとき…という風にいろいろな按手が見られますが、その根本にある意味は、主にはっきりと態度を示すことだと思います。