脂肪は主のもの

レビ3:16「祭司は祭壇の上でそれを食物として、火によるささげ物、なだめのかおりとして、焼いて煙にしなさい。脂肪は全部、主のものである」
脂肪がいちばんおいしいのに…と考えてしまうのは聖書的ではないのでしょうか?聖書は「脂肪は全部、主のもの」だと断言しています。食べてはならない、という禁止ではなく、それ自体が主のものなのです。血を飲むのを禁止するように、危険が伴うものとはわけが違いそうです。「だめだ」と言われる理由が「それはわたしのもの」だからなのです。脂肪は世の楽しみや喜びをあらわすものだと思います。主はけちだから、おいしい脂肪を独り占めしたい?…そんなことはないと思います。喜びや楽しみは自ら手にして味わうものではなく、主が与えてくださるものということを、この戒めから悟るようにしているのではないでしょうか?世の楽しみを味わうことを捨てて、神に礼拝を捧げるなら、その礼拝は脂肪を燃やしたなだめの香りになるのです。聖日は、体を休めたり、遊んだり、自分のために時間を使いたいものです。しかし、自分の楽しみを燃やして主の前に進み出るなら、その行為そのものがなだめの香りになるのだと思います。