わたしが主

レビ26:12「わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる」
ユダヤ教キリスト教は約束の宗教だと言われています。神が命じたことを守るなら、その見返りとして祝福を与えるというものです。神と人間の関係はこのレビ26章にはっきりと書かれています。また後半には、もし神の定めたことに従わなければどうなるか、ということも書かれています。単純に従ったときの反対のことが起きると考えて良いでしょう。他宗教の多くは、「捧げる」なら見返りがある、というものです。多くの金銭や物質、時間や奉仕など、果てには「いけにえ」を要求され、それらの捧げものがないとご利益は薄いなどと考えられています。それに対して聖書の神は、まず安息日を守れ、と言います(2)。宗教を信じる大きな目的は、心の安らぎや拠り所を求めることではないでしょうか?それはあくまで人間側からの望みであって、神からのものではありません。聖書の神は、自らを「エホバ(主)」だと名乗り、自分の存在を何よりもアピールしています。ほかに神があってはならない(十戒の最初の戒め)とは、人がまず確認しなければならないことです。この世にどんなに楽しみがあろうと、神にまさる喜びはありません。