ロバがしゃべる

民22:33「ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を巡らしたのだ。もしかして、ろばがわたしから身を巡らしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたを殺しており、ろばを生かしておいたことだろう」
オウムや九官鳥がしゃべることはあっても、ロバがしゃべるのを目撃したのはバラムぐらいではないでしょうか?神がロバの口を開かれた(28)…とあるように、そこには主の奇跡のわざが介入しています。一方、バラムは「主がバラムの目のおおいを除かれたので(31)」とあるように、主によって目におおいがかかっていたことがわかります。ロバは抜き身の剣をもった天使を恐れ、行き場のない壁に自分の身を押し付けて前に進めなくなってしまいます。バラムがむちを打つのを我慢することと、前進して剣にかかるのでは、どちらがましかすぐに分かることです。結果として、ロバは主人であるバラムの命を助けたことになりました。なぜ、天使はいきなり自分の姿をさらけ出して、バラムに行かないように命令しなかったのでしょうか?そこには主のご計画の本質が隠れているような気がします。主は創造物を使って、御心を果たそうとするご性質があるようです。福音も人の手に委ねられました。主の栄光を直接輝かせるなら、あまりのまぶしさに誰も生きることはできないでしょう。人というフィルターを通して輝く主の栄光を見て、未信者は福音を信じるようになるのです。