御子が生まれたとき

詩2;7「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』」
「わたし」は誰でしょうか?この人は主と会話をした人です。そして主は彼に言われました。「あなたはわたしの子、きょう、わたしがあなたを生んだ」つまり、この人は神が生んだ子ということになります。聖書の中で神の子とされたのはイエス様だけです。それゆえ、ここに出てくる「わたし」がイエス様であることは間違いないことでしょう。そして、イエス様は「主の定め」について語っておられるのです。主が最初から定めておられたことが、息子を生むことです。神に自制はありませんから、「きょう」という言葉は文字とおりの今日ではなく、ある特定の時間を指すものです。主があるときを指して「この日」だといわれたのです。神に最初という概念がもしあるなら、「きょう」は神が存在した最初のときではないでしょうか?神の定めにしたがい、ほぼ同時に父なる神とイエス様は存在し始めたのです。父と子が存在し、最も大切な子の命を捧げることが主のご計画でした。主の定めが、息子を生み共に生きることなら、主が存在した最初から、人を救うために神のご計画があったということになります。つまり「わたしがあなたを生んだ」という言葉には、神が人を救うために捧げる命をもうひとつ持ったという意味が含まれているのではないでしょうか?