復讐と死刑

民35;19「血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺してもよい。彼と出会ったときに、彼を殺してもよい」
別の箇所では「復讐はわたしのもの(申32:35)」と書かれており、むやみに復讐することを禁じています。どちらが正しいのでしょうか?現代には、殺人の被害者が加害者に復讐することは許されていません。それぞれの国の法律に従い、法の裁くとおりに任せるのが一般的です。現存する死刑制度は復讐の形を代えたものだと言えます。人の命を奪ったのなら、命をもって償うのは万国共通の意識です。しかし、現在では死刑を廃止する国が増えており、世界の流れとしては死刑を行なわない方向に進んでいると思います。日本は死刑廃止に関して否定的な立場で、忠臣蔵以来、日本人の復讐する心は根深いようです。もし、故意であろうがなかろうが、殺人者が町をうろうろするなら、一般市民は何か心苦しいものを感じるでしょう。隔離するのは妥当な処置だと言えます。また、逃れの町の外で肉親を殺された被害者が、殺人者を殺してもそれは殺人ではありません。死刑存廃の議論はともかく、聖書は復讐というものに一定の判断をくだしています。それでも、人を愛することを諦めず、自分の身内が殺されても、殺した相手を許すことができれば主の栄光が輝くことでしょう。