たとえ誰も見ていなくても

詩10:4「悪者は高慢を顔に表わして、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない。」の一言に尽きる」
誰も見ていないから大丈夫…などという状況に遭遇したことはないでしょうか?目に見えない神を本気で信じるかどうかは、いつも試されています。周りに誰もいないとき、心に何かよこしまな思いが入ってくるものです。人の目は気にしても、神の目は気にしないのなら、その人は神を信じていないのです。信じる心は神の注意を引きます。信仰に関してはパウロがあるひとつの定義を示しています。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです(ヘブ11:1)」 このみ言葉と悪者の思い「神はいない」は相反するものです。逆に言うなら、「悪者」の定義は、心に神を認めない人だということができると思います。神などいない、死んでも裁きはない、天国など存在しない…神を認めない人たちの言い分はいつも同じです。主を恐れることこそ知恵のはじめ、だと聖書にあります(箴1:7)。それは目に見えない存在であっても、その存在を確信し、たとえ誰も見ていなくても正しく行い、心からの礼拝を捧げることができるなら、その人は神を恐れる人であり、義と認められる人なのです。信じる者たちが正しく行なっているなら、主に対して悪者に正しい裁きを要求することができるのだと思います。