ペンテコステに起きたこと

使2:11「ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは」
弟子たちは何が起きたかを悟っています。ペテロは大勢の前で、今起きている不思議な現象を聖書の預言から解き明かし、預言の成就したことを確信していたと思います。異言は神の満たしの証明ですが、聖霊バプテスマを受ける人がいても必ず異言が語られるとは限りません。そういった多くの証しを聞いたことがありますし、私自身が異言がその場で出てきたわけではないからです。個人的な祈りの際に、異言は与えられ、その後異言は進化し明確な言葉として語れるようになりました。しかし、いまだに意味はわからず、異言の解き明かしが必要だとおもっています。パウロはつまずきになるのなら、大勢の人の前で語るべきでないと忠告しています(1コリ14:23)。加えて解き明かしがないのなら黙っていなさいとも書かれています(1コリ14:27)。成熟したクリスチャンならバランスを重んじ、異言と知性で祈る両方をうまく使い分けることができると信じています。やたらに異言のみで祈るとか、大声を出すのを見るなら、その人は成長の過程にあるのだと思います。模範にするべきはイエス様の態度です。イエス様がどのように祈っていたか、どうやって主と交わっていたかを聖書に発見するとき、それが「道」となり私たちのやるべき姿となるはずです。