とどまっていなさい

使1:4「彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」」
聖霊が世界中どこででも働かれることは周知のことです。エルサレムでなければ聖霊を受けられないということもなかったでしょう。なぜ、わざわざイエス様は弟子たちをエルサレムに固定したのでしょうか?1つは弟子たちの言葉に原因があると思います。「今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか(6)」…前節では聖霊バプテスマを受けると言われているのに、まだこの有様です。誰が言ったかわかりませんが、イエス様がイスラエルの再興のために来られたと勘違いしている者がいたのです。こんな調子では出て行って福音を伝えることもままならない様子です。イエス様が1箇所に彼らを留めたのは、聖霊によって彼らの霊の心が見えるようになるためだったと思います。もし放っておいたなら、彼らは一致せずばらばらに行動し、あるものは逃げたかもしれません。聖霊によって力を得るとは(8)、人の力では及ばないことを励まされたり、文字どおり力を得たりすることです。まだ聖霊を受けていない彼らには、聖霊を受ける意味はまだいまいち分からなかったかも知れません。しかし宣教は聖霊の満たしと共に始まりました。どんなに聖霊が見えないからと否定する教団があったとしても、聖書は聖霊が下ってきたときから福音が広まったと証言しているのです。