バプテスマ・ヨハネの伝道

マコ6:16「しかし、ヘロデはうわさを聞いて、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」と言っていた」
バプテスマのヨハネが死ぬのは、ヘロデヤの娘が宴会で上手におどりを踊ったほうびとしてバプテスマのヨハネの首を要求したからです。「サロメ」はよく聞く名前ですが、聖書には登場しません。ユダヤの歴史家の書物の中にサロメという女性が、母ヘロデヤ、父ピリポの娘として登場するためサロメという名前が使われるようになったようです。もともとヘロデヤは名前の示すように、ヘロデ一族の家系に生まれました。父はヘロデ1世で、母は大祭司シモンの娘マリアンメとされています。そういう意味では、ピリポとの結婚もけっこうきわどい近親相姦の疑いがありました。それに加え、当時の王と不倫をして王の妻の座を得ていたのです。夫の兄弟との関係は律法に反していたにも関わらず(レビ18:16)、彼女は王の妻の座に固執していました。それは王ヘロデより、妻ヘロデヤのほうがヨハネを殺したがっていたことでもわかります。王ヘロデ・アンティパスはヨハネの言葉に耳を傾け、おもての表情とは裏腹に霊とたましいは喜んでいたのです(20)。彼がイエス様のうわさを聞いたとき、自分の犯した罪が頭をよぎり、ヨハネが生き返ったと想像していました。ヘロデは心の奥底では主を恐れる心が芽生えていたのではないでしょうか?