心の汚れを知る

マコ7:21-22「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり」
好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさなどは、不品行や盗み、殺人、姦淫の元になる要素だと思います。そして「悪い考え」はすべてを包括するひとつの単語ではないでしょうか?好色な者が、心に悪い考えを持ったときに、不品行になり姦淫になるのだと思います。ここで焦点になるのは、一番最初に悪い考えを挙げていることです。イエス様は「だれでも情欲を抱いて女を見る者は、すでに心の中に姦淫を犯したのです(マタ5:28)」と言われています。不品行にしろ、殺人にしろ、心のあり方が問われているのです。ものを食べたとしても、食物は心に入っていきません。それらは腹に入り、やがてトイレに流されるだけのものです(19)。モーセの時代から言われてきた、汚れた食べ物はあくまで医療知識の貧しい時代に、せめてもの簡単な消毒法を示していたに過ぎません。手が汚れたまま食事をしたり、生肉に火をよく通さないで食べるなら食中毒を起こしてしまいます。そのような衛生面の汚れたことと、心が汚れることはまるで違うことなのです。しかし律法学者たちは、文面とおりの言葉一辺倒の解釈しかできませんでした。弟子たちでさえ理解しておらず、イエス様もかなり忍耐されていたのがよくわかります。