かごがいくつ?

マコ8:17「それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか」
辛らつな弟子への言葉です。さらに「目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか」と続きます。パンの奇跡はすべての福音書に書かれてある、おそらくイエス様が最も知らせたかったメッセージが隠されている奇跡です。それゆえイエス様の弟子たちへの口調は厳しいものになっています。「いったい何を見てたのだ?」「耳がついているのに聞こえないのか」などと言われるなら普通へこんでしまうものです。イエス様は、それぞれいくつのかごがいっぱいになったかを聞いたのを最後に、この会話は終わっています。実は日本語訳の「かご」はギリシャ語の原文では2種類に分かれています。最初の5千人のときは「kophinos(コフィノス)」という、いわゆる手に持つ普通のバスケットのことですが、4千人のときは「spyris(スプリース)」で、小さい子供が入るような背中に担ぐバスケットのことです。したがって4千人のときの方が数が少ないから、パンはそんなに余っていなかったとするのは間違いです。パンが言葉であり、霊的な食べ物であることは明白ですが、間違った教えにより膨らんだパンなら食べた人のこころは歪んでしまいます。食べてもなお、必要を満たす神のパンこそ人が食べるべきパンではないでしょうか?