一瞬たりとも

マコ15;34「そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である」
神が人を見捨てるわけがありません。ましてや、自分の子ならばなおさらのことです。しかし、今回だけは違っていました。イエス様は罪あるものの一人として扱われたのです。イエス様は本来、洗礼を受ける必要はありませんでした。バプテスマのヨハネに「今はそうさせてもらいたい(マタ3:15)」と強いてまで洗礼を受けたのは、罪のないイエス様が罪ある者の一人として数えられるためでした。また、十字架に架かるときも他の2人の罪人と一緒にされたのです(27)。すべてはイエス様が罪を背負って、いけにえになるためでした。イエス様にとって神のために死ねることは、何の問題もなかったことでしょう。しかし、たった一瞬でも父なる神から離れること…これは大きな問題です。十字架の上で主は、イエス様の背負われた罪を見て目をそらせたのかも知れません。罪はそれほど、神と人とを隔てるものなのです。イエス様の死因は「ショック死」だと言われています。心臓が張り裂けることにより、わき腹を刺したときに、血と水が流れ出ました。人が神から離れるなら「死」を覚悟しなければなりません。それでも愛する父のために、命をかけたイエス様に栄光が与えられたのです。