ちょっと難しい解釈

ロマ5:20「律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」
まるで振り子の振り幅が大きくなると、その反動で反対方向にも大きく振られるようなものです。罪が増し加わるなら、赦される許容範囲も広がっていくわけです。しかもそれは恵みだと書かれています。人が罪をあがなうことは無理です。どんなに聖いと言われている人でも罪がないわけではありません。この世に義人などいないからです。アブラハムモーセ、ヨブ、エリヤなど名だたる聖書の偉人をいけにえに差し出したとしても、神に受け入れられるいけにえにはなり得ません。神を満足させ、喜ばすことができるいけにえは、罪を犯したことがなく、神との交わりを絶やさなかった人だけです。唯一イエス様だけが、そのいけにえになることができました。わたしたち人間は罪をあがなうために何もすることができません。しかし、罪のために十字架に架かったイエス様を信じることで、自分も罪のために一度死んだと判断されるのです。これが恵みです。もし、自分はちょっとしか罪がなくて、赦されたとしても僅かだと思う人がいるなら、大間違いです。罪が増し加わるとは、赦されるはずのない人のことすべてを指していると思います。この世は罪だらけのゆえに、恵みでいっぱいになる条件が整っているのです。