義となる信仰

ロマ4:24「また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです」
福音の中には信じがたい要素が含まれています。処女から子供が生まれることや、死人が復活することはその代表的なものでしょう。イエス様の十字架を信じることは、よみがえらせた父なる神をも同時に信じることになります。福音の中にこのような不思議な要素を加えたのは、信仰によらなければ信じることができないことを、あえて信じさせる必要があったからではないでしょうか?「狭い門から入りなさい(マタ7:13)」とイエス様は言われましたが、死んだものが死を乗り越えて、ずっと生きることができる…ということを簡単に信じるわけにはいきません。なぜなら人は必ず死に、その後復活して行き続けた人はいないからです。唯一、イエス様だけが今も生きておられ、私たちとともに人生を過ごしていますが、今や天におられその姿を見ることができません。ここに信仰と不信仰の大きな壁があります。すべての人が救われるのが神の御心です。しかし、あえて門を狭くすることにより、信仰のテストを受けた人たちが目には見えないけれども、イエス様は生きていると証しするなら、神の栄光につながるでしょう。狭い門のゆえに、人をとおして神の栄光を現す方法を用い、救いを用意されたのです。