天地創造の前から

1コリ2:7「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです」
聖書は神と人との関係をあらわした書物です。創世記の最初には、神が天地を造られたことが書かれています。しかしパウロが言うには、天地創造の前から神が人のための計画を立てておられ、人が話す宣教のひとつひとつの言葉でさえ、あらかじめ用意されていたことになります。それは何よりも、神がすべてのことにおいて人を中心に考え、すべてのことが人ためになされている…ということです。神がこの天地を造ると決心したとき、人が堕落することも見えていたはずです。また、人が完全になるためには、みずからの命でさえ捧げなければ完成しないこともわかっていました。つまり、天地創造を決心したときには、ご自分のいのちを人のために捧げる決心もされていたのです。それ以来、歴史が始まり地球上では人が支配しているかのように振舞っていました。しかし、すべては神のみこころのままに進んでいるのです。神のみこころを知らせるために、聖霊が与えられました。聖霊が人に神のみこころを知らせる役目を担っているのです。もし、自分たちが語る宣教の言葉さえ、歴史が始まる前から用意されているとするなら、どうやって神のみこころから逃れることができるでしょう?すべては神のみこころのままに動いているのです。