知恵と愚かさ

1コリ1:27「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」
すでに得ている知識を捨てることは難しいことです。クイズでも出題されて、答えが分かっているのに、分からないふりをするのもどうかと思います。しかし、知識のあるものが知識のないものを見下すのは何度も目撃したことがあります。どんなに知識があろうとも、神の持つ知識にはかないません。むしろ、愚かであるにもかかわらず神のことを知ることができれば、知恵あるものたちは不思議がるでしょう。「バカのくせに…」と思い始めたら、見下しているのです。人を自分より勝っていると思いなさい(ロマ12;10)…パウロはローマ教会へこのように書きました。自分が愚かなときに、神の知恵は浮かび上がってきます。人が無力で、ただ祈るしかないときに、神は働かれるのです。もし、クリスチャンでありながらすべてのことに失敗し、打ちひしがれるなら、自分の誇れるものが何も無くなってしまうでしょう。自分が愚かで、つまらない者だと悟ったとき、自分を捨てる決心ができるのです。神は心の王座に「自分」が座り続けている限り働けません。心の王座を明け渡し、主に働くチャンスを差し上げてみてはどうでしょうか?それにはまず、自分こそ知恵あるものだと言わないことです。