高慢から離れる

1コリ5:6「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか」
エス様もパン種に気をつけなさいと言われました(マコ8:15)。イエス様の言われたパン種は「教え」のたとえで、ヘロデやパリサイ人の言うことには間違ったことも含まれていることを示唆したものです。モーセの時代からパン種を入れたパンと、パン種を入れないパンは区別されて使われていました。パン種を入れたパンの膨らみ方は、罪が入った心が悪い考えで膨らんでいくのと似ており、膨らんだパンを見ることで、罪への戒めとしていたのです。パウロが罪の中でも特に「高慢」を警戒するように呼びかけています。高慢がひとたび人の中に入ると、「裁き」が人の心に芽生えます。この裁きが問題なのです。高慢が膨らむと、手に負えない感情が心を支配し始めます。しかし、決して裁きをすべてやめてしまうわけではありません。パウロは「裁き」を外に向けないように注意しています。クリスチャンでありながら、父の妻を自分の妻にしてそのまま礼拝に来るなら、礼拝の聖さが汚されてしまいます。裁きと守らなければならない聖域は区別すべきだと思います。パン種が膨らむ前に、摘み取ることも時には必要なのではないでしょうか?そういう意味では、クリスチャン同士の戒めや訓戒はないがしろにすべきではないと思います。とにかくパン種である高慢から離れることです。