誰のために?

1コリ8:11「その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです」
自分は救われるべくして救われたのでしょうか?確かに、結果的には救われる人と救われない人に分かれていますが、神の御心はすべての人が滅びいくことなく、救いにあずかることです。この人は救われてほしい、この人は救われて欲しくないと思うなら、神の御心から大きく離れています。そもそも自分が救われたことでさえ、奇跡的な確率なのです。日本で救われたクリスチャンはみんなそうです。1%はおろか、生まれ変わり聖霊を受けるクリスチャンの数なら0.1%でさえ怪しい確率です。そんな中で「この人はクリスチャンにふさわしい」とか「こんな性格の悪い人はクリスチャンになって欲しくない」などと言えるでしょうか?自分のことを棚にあげて、そんなことを言うなら、主から激しい叱責を受けることになるでしょう。どんな人にも罪はあります。自分の罪だけは軽いなどと思い上がるなら、十字架の本当の意味がまだ分かっていないのです。とうてい許されざる罪を犯した人でも、ほんの小さな罪を犯した人でも、主の愛は変わらず同じようにすべての人に注がれています。しかし、多く赦されたものが多く愛するようになる(ルカ7:46)、という真理は本当のことだと思います。