異言がつまづきになるなら

1コリ14:23「ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか」
これは異言が人の耳には奇異に聞こえるということです。2000年前の初代教会のときから異言は語られていましたが、人によっては不思議な音に聞こえたのだと思います。知らない言葉を聞くときは音だけが耳に残ります。それがある人には不快に感じるかもしれません。パウロは異言という賜物を優先させるのではなく、救われてくる新しいたましいに目を向けているのです。どんなことにも初心というときがあります。クリスチャンも同じで、初心者のクリスチャンは祈り方でさえぎこちないものです。異言がつまづきになるなら、デボーションのときに1対1で神と対話するときに使えばいいでしょう。解き明かしがないのならむしろ黙っておくべきだとパウロも言っています。未信者や初心者には最大の注意を払って、つまづかせないことです。なぜなら、未信者や救われたばかりの人たちは、まだ神に目を向けることに集中できず、目に見える先輩クリスチャンに目がいってしまうからです。タバコやお酒などは、特に注意すべきでしょう。できれば、聖霊の助けによって飲まなくても大丈夫になっておきたいものです。やめられないのは偶像崇拝に匹敵するからです。