頼るべきもの

2コリ1:9「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」
パウロクラスになると試練の度合いも並みのものとは違っているようです。それは、神がその人の信仰によって与えるものです。最後は何ものにも頼ることがなくなるまで試されます。試練に逢うなら最初、人は周りにいる信頼のおける友人や親族、あるいは教会の牧師、先輩クリスチャンなどに助けを求めるようになります。人がだめならお金、物質などに頼ることでしょう。最後に頼るのが神さま…ならば、主はガッカリされることと思います。まさか、いつも死を覚悟しなければならない状況になるとは限りませんが、パウロは死を覚悟する試練を体験したのです。もう何も頼るものがなくなるまで神の試練は続きます。もし、いのちに至るまでの試練の前に悟りを得て、頼るべきものは神しかいないと思えるなら幸いだと思います。人生のすべての答えは主にある…と悟るべきです。目に見えるものに惑わされてはいけません。見るものの誘惑は一番強いからです。イエス様は「もし、右の目があなたをつまづかせるのなら、えぐりだして捨ててしまいなさい(マタ5;29)」と言われました。目に見えないものに価値を求め、見えないけれど存在すると確信を持ち、その存在が人と関わりがあると思える心が大事なのです。