処罰された人に

2コリ2:7「あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません」
「その人」が誰かはわかりませんが、教会はその人に対し処罰を与えたのは事実です(6)。それゆえ、その人は悲しみ、落ち込んでいる状態にあるようです。教会が一人の信者にペナルティを課すことがあっても、その人を憎み、許さないという態度ではありません。あくまで問題を起こした人に対して、注意を促し、考え方を改めるように指導するのが目的です。その人が教会の勧告を受け入れてくれたのなら、再び兄弟を得たことになります(マタ18:15)。パウロはカウンセリングのアフターケアのことまでコリントの教会の人々に教えているのです。教会で孤立するのはよくないことです。むしろ、そのような処分を受けた人を気遣い、慰めることができる教会のほうが、主の御心にかなっていると思います。どんなに人に迷惑をかけようとも、クリスチャンになる前の自分を思い出すなら、責めることはできないでしょう。自分にも神を信じない期間があり、生まれながらのクリスチャンなどいないからです。むしろ、罪の時代があるから自分は救われたのです。そういう意味において人は平等だと言えます。若いときに神を知ることは大きな幸いですが(伝12:1)、すべての人がそうではありません。すべてに時があるからです(伝3章)。