福音ですね

2コリ5:15「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」
私たちは死ぬべき存在でした。それは動かしようのない事実です。罪が消えない限り、汚れたものとして扱われ、その報酬を身に受けなければなりません。罪の報酬は死です(ロマ6:23)。しかし、イエス様が人が受けるべき死の報酬を一身に受けれくれたとしたらどうでしょう?私たちは生きているけれど、罪に対しては死んだものとなったのです。それはすべての人に当てはまるもので例外はありません。「あの人だけは、神の祝福を受けられない」などと言うことはできないのです。すでに裁きは終わり、判決は確定しています。そして、購いのためのいけにえもすでに捧げられました。人は罪から解放されて生きていくことができ、その報酬である死を受けることはありません。ただし、無条件でこの法則が働くわけではないのです。すべては神と人の和解にかかっています。人をそれほど愛してくださった神を無視しては、死から逃れられません。神と人とが正しい関係に戻るまで、十字架の購いは働かないのです。人は神を認め、和解の十字架を受け入れたとき、罪から開放され、死の報酬を受けなくて済むのです。