つり合わぬくびき

2コリ6:14「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう」
パウロはすべてのことを福音のためにしていました(1コリ9:23)。ユダヤ人の中ではユダヤ人のように振る舞い、律法を持たない人には律法を持たないようになり、少しでも多くの人を救うために自分を捨てて、未信者の目が注がれるように工夫していたのです。しかし、ここでは不信者とくびきを一緒にしてはならないと警告を与えています。パウロ自信の目的は福音を伝えることであって、福音という目的が離れるならば未信者のようになることなど興味はなかっただろうと思います。この箇所はよく結婚相手を選ぶときに使われます。クリスチャンと未信者が同じくびきをつけて、共に人生を歩むことはできません。くびきは2頭あるいは3頭の牛や馬の首を固定し、常に同じ方向に進ませる道具です。互いに違う方向に進みたければ、その場に立ち止まってしまいます。1頭は右に、片方が左に行きたいのなら、お互いの首を痛めても自分の方向へ首を向けることでしょう。人生の目的が違った段階でそのくびきは拷問の道具へと変わってしまうのです。一方が神の道を歩むのに対し、片方が自分の道を歩むなら一緒にいても辛いだけです。パウロは結婚だけのことを言いたかったのではなく、付き合い全般の注意をしたかったのだと思います。