テトスの報告

2コリ7:5「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました」
マケドニヤはテサロニケやピリピ、コリントを含む大きな地区で日本語としては「州」という扱いだったようです。東隣にアジア州があり、西には海を挟んでイタリア半島があります。パウロたちがエルサレムから上ってきたとするなら、アジア州にあるトロアスからピリピへ向けて海を渡るのが一般的でした。従って「マケドニアに着いたとき」というのはピリピの港に渡った直後だったと推測されます。パウロがここまで弱気になったのは、よほどのことがあったのでしょう。どんな人でも人生に一度や二度このように、八方ふさがりな状況に出会ったことがあるはずです。忙しさの中に身を任せるなら、時間をつぶすにはいいかもしれませんが、それ自体何ももたらしてくれません。安らぎがないときほど不安なことはないでしょう。しかし、主はパウロを愛しており、彼を見返ってくださったのです。テトスがコリントから帰り、コリントの教会がパウロの手紙によって最初悲しんだが、その後悔い改めたという報告を持ち帰りました。パウロが苦しんでいたときに慰めになったのは、コリント教会の悔い改めだったのです。パウロはそれほどコリント教会を気にしており、いつも心に覚えていたようです。パウロの人生がいかに宣教に専念していたかがわかります。