聖絶を怠るなら

ヨシュ7:18「ザブディの家族を男ひとりひとり進み出させると、ユダの部族のゼラフの子ザブディの子カルミの子のアカンが取られた」
やがてアカンとその子供たちはイスラエルの民に殺されてしまいます(25)。聖絶の命令は絶対で、命令を破ると命がなくなってしまいます。それほどの命令をなぜしなければならなかったのでしょうか?敵を完全に滅ぼしてしまうことは、霊的な意味では「敵」すなわち「罪」を断ち切ることにつながります。心のどこかに「まあ、これぐらいなら許してもらえるだろう」と思っているなら、大きな間違いです。神は侮られるようなお方ではありません。過ちをそのままにしておくなら、そこからひびが入り、やがて大きなほころびとなって崩れ落ちてしまうでしょう。罪は罪です。敵からの攻撃を完全に消し去らなければ、生き残った敵の兵士にまた攻撃されてしまうかもしれません。サタンは狡猾でずる賢い性格を持っています。「少しなら大丈夫」とか「これぐらいなら許してもらえる」という思いを残しておくのは危険です。神の名前において完全に誘惑の言葉を聖絶する必要があります。心にある甘えは、自分の犯した罪に対する罰を受けたくない思いの裏返しです。クリスチャンはもう罰を受ける必要はありません。罪はすべてイエス様が背負ってくれました。罰せられないのなら、もう甘える必要はないでしょう。大きな声で誘惑に勝利の宣言をし、サタンを聖絶するのです。